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EVENT / 2026.06.10

森山未來が出会った、五十嵐威暢の世界。 展覧会「A-Z Homage to Takenobu Igarashi」をめぐる

森山未來が出会った、五十嵐威暢の世界。 展覧会「A-Z Homage to Takenobu Igarashi」をめぐる
森山未來が出会った、五十嵐威暢の世界。 展覧会「A-Z Homage to Takenobu Igarashi」をめぐる
Photo
Kengo Ymaguchi
Styling
Toru Nagoshi
Hair & Makeup
Hayato Jinnouchi
Creative direction
& Edit & Text
Akihiro Maede
Project Management
MARZEL/
────caruta creative
Costumes Provided HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE
Jacket ¥74,800 / Shorts ¥33,000 / Tops ¥25,300 / Shoes ¥44,000(All taxes included)

彫刻家・デザイナーとして国際的に活躍し、PARCOの象徴的なロゴも手がけた五十嵐威暢氏の展覧会「A-Z Homage to Takenobu Igarashi」。本展は1994年に彫刻家へと転身する以前の、五十嵐氏がデザイナー時代に制作したアルファベット作品にフォーカス。独自の表現が連なり、創造性あふれる作品が一堂に集う貴重な機会となっています。そんな展覧会に森山未來さんをお招きし、めぐっていただきました。生み出すものは違えど、同じ表現者として五十嵐威暢氏の世界と邂逅し、森山さんは何を感じ、どんな思考を呼び起こしたのか。展覧会をめぐる森山さんの姿とともに、記事の後半では五十嵐氏のアシスタントを長年務めた羽田麻子さんとの対談をお届けします。

Index

  • P.1 森山未來 × A-Z Homage to Takenobu Igarashi
  • P.2 森山未來 × 羽田麻子 2人の言葉から紐解く五十嵐威暢の世界

森山未來 × 羽田麻子 2人の言葉から紐解く五十嵐威暢の世界

―まずは今回の展覧会「A-Z Homage to Takenobu Igarashi」の開催経緯の部分から、お話を聞かせていただければと思います。

羽田:五十嵐威暢は2025年2月に逝去しましたが、その前にPARCOさんから企画展のお話をいただいていました。PARCOさんと五十嵐の関係は、1981年の渋谷PARCO PART3のグラフィックを手がけたことがきっかけで、彼がデザイナーとしてのキャリアを形成していく上でとても重要なプロジェクトだったと聞いています。そして逝去後、メモリアルとなる企画展のプロジェクトが本格始動し、2025年11月に札幌PARCOで「A-Z Homage to Takenobu Igarashi」を開催したのが始まりです。

森山:五十嵐さんが逝去された後ですが、開催に向けた準備はどのようにして?

羽田:札幌にデザインチームを発足させました。今回の展示でもPARCOのロゴをA〜Zで展開しているコーナーがありますが、開催前は“PARCO PART3”のロゴと1〜8の数字しか現存していなかったんです。アルファベット26文字と0〜9の数字を展開するために、“PARCO PART3”のロゴがどのような比率でどう作られていたかを数値解剖し、五十嵐の話していたことや製図機を使ってデザイン作業したであろうことを想像しながら導き出していきました。今回の心斎橋PARCOでの展示も同様に、札幌のデザインチームがグラフィックから会場構成まで行っています。

森山:そういう経緯があったんですね。実は、僕もPARCOさんとはいろんなご縁があり、15歳でデビューした時の舞台が渋谷PARCOでした。その後、1度事務所を移籍する際に空白の1年間があるんですが、フリーにもなれたけど、「PARCOでデビューしたから1回PARCOに戻るのが筋だろう」という流れになり。1年間だけPARCO預かりの時期があったんです。仕事のオファーがあれば、PARCOさんに連絡がくる感じでした。少し話が逸れましたが、僕も当時から五十嵐さんのロゴは知っていましたし、PARCOと言えば五十嵐さんのロゴのイメージ。ただ、五十嵐威暢という人となりの部分までは深く認識できていなかったので、羽田さんからもう少し聞かせてもらえれば。

羽田:五十嵐はグラフィックデザイナーとして25年間活動し、1994年以降は彫刻家として30年間活動してきました。デザイナー時代はサントリーや明治乳業、カルピスなどのロゴを手がけ、ニューヨーク近代美術館のカレンダーも8年間担当しています。私は1997年からアシスタントに入り、彼の活動をサポートするための何でも屋さんみたいな動きをしていました。当時、彫刻家としては新人ですが、デザイナーとしては世界的に名前も通っていたので、デザインの仕事は基本的に断りつつも依頼は後を絶たない状態。どうしても断りきれない時は、「彫刻を制作させてくれるなら、デザインをしてもいいよ」という感じで話していたのを覚えています。

森山:デザインと彫刻を並行している時期もあったんですね。彫刻家になられてからの活動を深く知らないので、彫刻作品についてもすごく気になります。今回の展覧会ではアルファベットと数字の作品がメインですが、そこに対しての五十嵐さんの想い、執着などを羽田さんはどう感じていますか?

羽田:アルファベットについては、その形に魅了されていたと思います。日本語でも同じようなことをしている作品はありますが、日本語の単語にはそれぞれ意味があるじゃないですか。でも、アルファベットはシンプルな形として捉えていたのかなと。アルファベットや数字は、点と線と面によるグリッドの世界。その中で円弧も表現でき、Z軸を設けることで奥行きも出せるから無限の世界が広がります。常にアイデアがあふれている人で、彫刻をしている時もとにかく形を重要視していました。彫刻家時代は「僕はデザイナーじゃない」と言っていましたが、五十嵐の創造のベースはこのアルファベットや数字のデザインにあると私は思っています。制約をつけずに、本当にいろんな世界をデザインしていましたからね。

―今回の展覧会では、アルファベットを中心とした五十嵐さんの作品が一堂に集まっていますが、森山さんが特に気になった作品はありますか?

森山:アルファベットの作品の中では、陰影を使って表現した「E」や「V」が好きです。ライティングの妙による光と影が生み出した形に、見とれてしまいましたね。昔、モホイ・ナジという照明のアーティストを好きだった時があり、この作品ほど具体的な意味を生み出すライティングではなかったかもしれませんが、彷彿とさせられました。

羽田:あの作品は、写真家の和田惠さんが撮影したものです。「E」も「V」も、5mm厚のアルミニウムを積層した作品で、陰影でその形を表現しています。この作品もアルファベット26文字分あるんです。

森山:なるほど。アルファベットそのものは、視覚化されて存在しているんですね。

羽田:そうなんです。影も積層した部分も、同じアルファベットになっています。特に「V」は写真をじっくりと観ていただけると、積層したアルミニウムに数字なども記載されていて、ここが「V」の底部分であることがわかると思います。

 

森山:制約の中から生まれる自由という話になると思うんですが、「JAZZ」の作品もすごく好きです。この作品についてはグリッドやZ軸がある中で、感覚的に抜いたり、広げたりしているように見受けられます。実はすごく計算しているのかもしれませんが、「ここを抜こう」「そこを広げよう」とか、全体のバランスを見ながら感覚的にデザインしているのが面白いなと思いました。現代のようにバーチャルやデジタルを駆使することなく、あくまで手でなされているなと。

羽田:時代的にも版下は全て手書きでした。ロゴをデザインする時も、最初は数値を見ていますが、最後は自分の目で見て判断していたと思います。文字と文字の間の間隔はそれぞれが干渉し合うため、最終的には見た目で決めないといけない。数値を超えたその造形センスは、彫刻家になってからも爆発していたと思います(笑)

―羽田さんは五十嵐さんのアシスタントとして長く活動をサポートされてきましたが、感覚的な“潔さ”以外で、五十嵐さんが日々大切にしていたことがあれば教えていただけますでしょうか?

羽田:残業はしなかったですし、午前と午後にはお茶の時間もあったんです。限られた時間の中で一気にするのが、五十嵐の仕事スタイルでした。そのために大切にしていたのが、治具(じぐ)。時間を短縮するための道具です。例えば数字のデザインを作る際、アイデアが決まっていても大量の版下を手書きするのは長い時間を費やします。だから五十嵐は、5mm刻みに固定したコンパスを必要分全て準備していました。それは、自分が自由にできる余地を大きく残すために大切にしていたことだったと思います。

森山:治具。初めて聞いた言葉でした。ちなみに五十嵐さんに趣味はありましたか?

羽田:とにかく仕事が楽しくて楽しくて仕方ないような人でした。同じ映画を何度も観たり、同じ本を何度も読んだりするタイプで。

森山:それは面白いから何度も観たくなる、読みたくなるというわけではなく?

羽田:はい。頭の中では朝から晩まで、デザインや彫刻のことを考えていたと思いますし。

森山:きっと五十嵐さんにとっての映画鑑賞や読書は、頭を空っぽにする時間だったのかもしれませんね。デザインや彫刻から意図的に距離を置く時間として。

羽田:確かに、そうかもしれません。車の運転がとにかく好きで、アトリエまでの移動が片道2時間かかっても苦じゃないようでした。その時間にいろんなことを考えたり、頭の中をリセットしていたんだと思います。彫刻家になってからの話になりますが、北海道にアトリエを構えていた時は、雄大な風景を眺めながら日々移動していることで、その自然の光景がダイレクトに作品に反映されていたりも。森山さんの表現とも重なる部分があるかもしれませんが、そういった感覚的な即興も五十嵐は大切にしていました。「僕の作品は即興でジャズだから」という言葉を何度も聞いたことがあります。

森山:僕もドライブが好きなんです。都市部や街中では見る景色が全て直線的だけど、自然の中に行くと全てがランダムだし、直線なんてない。山形を車で走っていた時なんですが、稜線がすごく美しくて、雲間からパッと光が差したんです。そこにある唯一の直線が、光のラインだった。昔の人はその光景を神々しいと呼び、だからこそ幾何学の立ち上がりがあり、直線に対する敬いなどが生まれたのかなと想像しましたね。ドライブしている時は五十嵐さんも頭の中をリセットしていたのかもしれないけど、無意識的に目にしたものがアイデアや情報として入っていたんでしょうね。

―お話を聞いていると、場所と距離が五十嵐さんの潜在的なアイデアの源泉になっていたのかもしれませんが、森山さんはいかがでしょうか?現在、神戸と東京の2拠点で活動されていますが、その場所と距離がご自身にどんな影響を及ぼしていますか?

森山:僕は30代に入ってから海外で仕事をすることも多く、パフォーマンス作品の作り方として一つの場所にとどまらずに作ることを大切にしています。見たことのない場所、新しい人との出会い、それらが新鮮なインプットとなり、そこからインスピレーションを受けて作品が形成されていく。僕自身も落ち着きがないので、そのプロセスが性格的にも合っているんです。元々はパリに拠点を置くことを想定していたんですが、コロナ禍でそうもいかなくなり、目を向けたのが神戸でした。神戸は流通の街で、大阪や京都のような都市としての重みがなく、とても流動的なんです。街の雰囲気や空気感が自分のスタンスにも合っていたし、それがたまたま地元だったわけで。常に移動しながら人と出会い、作品を作る。そんなスタイルで活動を続けています。

羽田:実は五十嵐も森山さんと似ている部分があります。引っ越しがすごく好きで、その数は40回以上(笑)

森山:僕も18歳で神戸を出るまでに実家が7〜8回引っ越しをしていますが、それは驚きです。すごく移動しているイメージがあったので、自分の体にその感覚が今も染み付いているのかも。

羽田:引っ越しするとモノを整理し、生まれ変わるような感覚もありますよね。新しい場所で新しい人と出会うと、自分をゼロからプレゼンテーションしないといけないけど、五十嵐はそういうことに力を注ぐのが好きでした。展示では「離れることから自分が見えてくるかもしれない。」という言葉もありましたが、実は“引っ越しは人を育て、国を変える”みたいなタイトルで、講演したこともあるんですよ。それくらい、移動することや引っ越しが五十嵐の自己形成の一部になっていたと思います。

森山:自分の体やモノは常に移動する。その意識が五十嵐さんの中に潜在的にあったのかもしれませんね。

羽田:引っ越すごとに、作品のテイストも変わっているんです。この作品はあの場所で、あの作品はこの場所でと言えるくらいに、色濃く反映されています。

森山:先ほどお話しいただいた北海道のエピソードもそうでしたよね。景色やモノの見方も、五十嵐さんは独特だなと感じました。書籍に「海を見るのがいい」というフレーズがあったんですが、補足的に「海を見ると、垂直方向と水平方向に何かが見える」みたいに書かれていて、そんな見方をしたことはなかったなと。Horizont=地平線はわかりますが、五十嵐さんだからこその見方だと感じましたし、すごく新鮮でした。

羽田:五十嵐の彫刻作品の中には、Horizontal Feeling=水平な気分というシリーズもあります。木をいろんな形に積層した作品なんですが、展示する現地でいきなり縦と横を変更したり、天と地をひっくり返したりしたエピソードもあるんです。作品の見え方をいきなり変えるなんて普通はありえないんですが、五十嵐はそこも柔軟というか即興というか、自分の目を信じていたんだと思います。

―森山さんと羽田さんの言葉から、五十嵐威暢というアーティストが何を想い、何を感じながら作品制作に取り組んできたのかを紐解いていける時間になったと思います。それでは最後に、これから来場される方々にお2人からメッセージをいただければと。

羽田:森山さんもお話ししていただいてたように、アルファベットと数字だけでこんなにも豊かな世界が広がっています。海外で高い評価を得て、デザイナーとしては頂点を極めていたような存在ですが、そこから彫刻家に転身して30年間活動していました。五十嵐威暢というアーティストを知らない人が多いかもしれませんが、このような世界があることを実際に観て、何かを感じ取っていただけたらと思っています。

森山:僕はグラフィックデザインに精通しているわけではないので、何かと比較して答えることはできませんが、五十嵐さんの言葉と作品を同時に見ていく展示は素晴らしいと感じました。展示にもある「ユーモアは論理を軽々と超える」という言葉は、まさにその通りだと思います。手書きの版下や資料を見ると、ロジックで作り込まれた世界かと思いますが、それを超える感覚的な部分に気づけると、見え方も変わって面白さもさらに深まるはず。僕も仕事でいろんな言葉に使ってきましたが、展示や書籍に記された五十嵐さんの言葉は全てがパンチラインです。強いワードと強いグラフィックがある、これが五十嵐さんの世界なんだと皆さんも感じてもらえると思います。

羽田麻子

1971年、東京で生まれ、ジュエリー作家の母と共に九州の大分で育つ。筑波大学芸術専門学群にて視覚伝達デザインを学び、都内で建築サインデザインを手掛ける。1997年より彫刻家・デザイナーの五十嵐威暢氏のアシスタント。2014年、asatteを設立。五十嵐威暢美術館かぜのびではクリエイティブディレクターを務める。

https://asa-tte.jp/
https://www.instagram.com/asakohada/

Information

A–Z Homage to Takenobu Igarashi

日程:2026年5月22日(金)〜6月14日(日)
場所: PARCO HALL(大阪市中央区心斎橋筋1-8-3 心斎橋PARCO 14F)
時間:10:00〜20:00(入場は19:30まで。最終日は18:00閉場)
入場:¥500(税込)※未就学児無料
主催:パルコ
共催:五十嵐威暢美術館かぜのび
協力:金沢工業大学 五十嵐威暢アーカイブ/竹尾アーカイヴズ

展覧会の詳しい情報はこちらから

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